インタビュー

「何で利益ゼロでもお店出せるの?」商店街活性化の立役者に突撃したら、無敵メンタルの持ち主だった

こんにちは、「イトフェッショナル」ライターの山部です。
今、糸島・前原商店街がアツい!のをご存じですか?

オーナー100人がそれぞれの棚を持つ「糸島の顔がみえる本屋さん」、その2階にあるアート書店「虚屯出版」、デザイナーが交代で店番するオシャレな郷土文具店「小富士」、外れにある未来型公民館「みんなの」と、前原商店街には今、ユニークな施設が次々オープンしています。TV取材も来たりして急激にホットな街になってきており、以前の寂しいシャッター街を知っている身からすると感涙を禁じえません…!

そして、常にその背後で暗躍しているのが、Webデザイン会社「カラクリワークス株式会社」代表の後原さん。「小富士」「虚屯出版」を自社で運営し、「糸かお(※糸島の顔がみえる本屋さん)」がテナントとして入っているMAEBARU BOOKSTACKS、「みんなの」にも、地域活性化を目指す「いとしまちカンパニー」のメンバーとして関わっています。

「利益ゼロ、トントンでいい」と、商店街活性化のためにどんどんお店を出していく後原さん。なぜ地域のためにそこまでできるのか?会社的にはOKなのか?疑問を解消するべく、今回インタビューの機会をいただきました!

その答えは、カラクリワークスの成り立ちにありました…

後原 宏行 (せどはら ひろゆき)
1974年、熊本県生まれ。2005年5月に「カラクリワークス」の屋号でWebデザイナーとして独立。現在、社員21名を擁する「カラクリワークス株式会社」代表取締役。2016年に福岡市から糸島市に移住。「郷土文具の店 小富士」、「虚屯出版」、佐賀・古湯温泉の「泊まれる図書館/珈琲 暁」、沖縄のコミュニティスペースOKINAWA DIALOG、コンセプトストア「君の好きな花」など、さまざまなプロジェクトの企画・運営を行う。2019年2月、糸島の中心市街地活性化に取り組む「いとしまちカンパニー合同会社」を設立し、糸島市と連携協定を結ぶ。

糸島の顔がみえる本屋さん
郷土文具の店 小富士
虚屯出版
コミュニティスペース「みんなの」

半年間、公園で亀に餌をやる毎日

――まず、カラクリワークスって何の会社なんですか?

主にWeb関係のデザインをする総合プロダクションです。企画とかクリエイティブがメインで、デザインはもちろん、実装、運用、広告とか、マーケティングプロモーションもやってます。

――カラクリワークスを始めるまでの経緯を教えてください。

18歳で福岡のデザイン専門学校にきて映像の勉強して、卒業してから27くらいまではVJ(※映像版のDJ)用の素材をひたすら作ってたすね。福岡市総合図書館のビデオ編集室っていう、編集を市民に教える部屋で派遣で働いてたんだけど、誰も来ないから、毎日素材を作って遊んでを繰り返して(笑)

ちょうどYahoo!オークションがサービス開始した頃で、家の大量のCDやレコードをひたすら出品して、プラスで月15万くらい稼いでたんすよ。あとは暇だから大濠公園行って、半年ぐらい一日中音楽聴きながら亀に餌やって「お前昨日いた亀やろ。親子やろ」って。

――ははは(笑)

で、友達にそろそろ働いたらって言われて、インターネットカフェの会社でバイトを始めて、Windowsとサーバーを教えてもらった。教えてくれた人が今は某超大手IT企業のアメリカ本社で働いてる、めちゃめちゃ頭いい人で。1年くらいサーバー担当チームで、その人と一緒に通信の基礎的な情報とかめちゃくちゃ勉強して、Webの世界オモロって思って。

――そこでWebに目覚めたんですね。

その人と2人で会社辞めて、一緒に新しく会社を立ち上げた。この人は賢いんだけど商売気質があんまりなくて、うまくいかなくて1年で解散して。そこにいたときに出会ったおじさんに誘われて、次はその人を社長にしてまた起業したの。その人は逆にほんと商売っ気がすごくて、でもあんまり働いてくれなくて(笑)俺が唯一の実働部隊でずーっとデザイン、コーディング、デザイン、コーディング繰り返してたら手足が冷えるようになって、これ死ぬやつや!って思って、辞めたのが2005年の5月。いたのは7か月くらいかな。

そういう経緯で、人生的にはすごいシンプルよね。18歳まで頑張って、VJやって、その後は失敗失敗して今みたいな。

――たどり着くの早いですね。

両極端な2人と会社をやって思ったのは、1人目は社会規範が強すぎて、2人目は市場規範が強すぎた。1人目は世の中のためになるサービスを考えるんだけど、お金に興味なさ過ぎて、2人目は商売っ気ありすぎて社会のためとかはあんまり考えてなくて。この真ん中くらいがいいな、それなら俺にもできるなって思って、一人で会社を始めた。

初年度売上が3人で475万円

――最初は一人だったんですか?

そうそう。2005年に始めて、最初の1年半は営業からデザイン、コーディング、納品、運用まで全部一人でやってた。2007年に友達が入って3人になって、でも誰も業界に友達がいない陰キャの集まりだったんよね。

――はははは(笑)

で、結局誰が一番陽キャかっていうと、俺だってなって。一人はデザイナー、一人はエンジニアで、じゃあ俺が営業やろうって。

――なるほど。

最初の2年はウチの部屋の6畳2間のマンションの一室で、俺が持ってきた仕事もたまにするけど、ほぼ自社サービスを作り続けてて。初年度の3人の売上、475万だった。

――えっ3人で!?

だって何のツテもないし業界のルールも知らないし、相場だって知らないし、俺なんて働いたことほとんどないから。名刺の出し方なんてこんな感じだったもん(上から渡すポーズをしながら)。

――はははははは(笑) 全然下からいかない(笑)

その俺が一番マシっていうチームだったから当然仕事も取れないし、騙されるし、買いたたかれるしね。フライパンに米と水を入れて、シチューかけて、仕事しながら煮込んで、最後チーズ乗せてリゾットと呼んで、それを2年間毎日、昼も夜も3人で食ってた。

――飽きそう(笑)

たまに鶏つみれ鍋もしたけどね(笑) でも、その生活はむっちゃ楽しかった。それを2009年までやって、売上が増えてきたから事務所を桜坂に移して。事務所の家賃も払えて他の子には給料出せてたけど、俺とか一番最後やから、自分ちの家賃と光熱費と生活必需品を会社から払って、給料はもらってなかったっすね。

――え!?

「会社で毎日パスタ食べるから大丈夫だ」って言って、4年ぐらいもらってなかったかな。それが、2011年に白石さんという救世主が入ったら、初めてディレクション能力が入ったことで、ごーんと売り上げが倍になったんすよ。

――倍!!ディレクションって何するんですか?

クライアントからの案件を管理して、内部と外との折衝をする。「納期どう?」みたいな。デザインもクオリティチェックもスケジュール管理もやってくれるから、超円滑になってできる仕事の量がすごく増えて。そのあと、ウチに入ってくれるって人がちょっとずつ集まってきて、今の人数になっていったかな。

ゆるキャラ着ぐるみに予算を全額投入

――「あたらしいたのしいをつくる」っていう会社のキャッチコピーはどうやってできたんですか?

2012年ぐらいに若手2人合わせた社員5人で「10年後に幸せな状態になってるために、どう会社をやっていけばいいか?」って合宿して、この言葉をつくって。福岡で誰もやってない新しい楽しいことをやって発信していけば、自分たちも幸せだし、それを見て仕事もくるはずだと。

最初の1発目は「ぬかむらくん」っていう、北九州のソウルフード「ぬかみそだき」のゆるキャラを作った。簡単なWebサイトの制作費としてもらった予算を全部着ぐるみに投入して、うちの若手が中に入って鈍行電車に乗って、埼玉でやってるゆるキャラフェスタに殴り込む動画を撮るっていう。

ホテルで休む「ぬかむらくん」

――面白い。

タレの形のチラシを各駅で配りながら、2日ぐらいかけて行ったのかな。最後、警備員に入っちゃ駄目だよって言われるところを写真に撮って終わる予定だったのに、すげえ温かく迎え入れられて、控え室まで用意されて。それを3日間のプロジェクトの間中、ずーっと発信してたの。それでいろんな方面からいいフィードバックがきて、その縁で今でも付き合ってる代理店が、大きいところ含めて3つぐらいあるっすね。みんなで考えた言葉を実践して、フィードバックとして仕事がきたんすよ。これを繰り返せばいいと思ったんだけど、若手2人がそれをきっかけにやめる。つらいと。

――つらい?

思いを共有できてなかったんすかね。合宿してコンセプトを決めて、仕事もせずにみんなでわいわい着ぐるみつくって、すごく楽しかったんだけど、2人はついてこれてなかったことがそこでわかった。それが最初のうちらの挫折で、そこらへんから少しずつ会社の在り方みたいなのも、だんだん今の形に変わっていった。

――なるほど。 

もう一つの挫折はあれかな。あまりにも会社が社会規範寄りになり過ぎて、1年だけ超市場規範に寄せた経営をやってみたの。ベーシックインカムをつくって、たとえば20万は保証します、残りは売り上げの3分の1をバックしますって感じで。それはけっこう、痛みを伴って。誰も辞めなかったんだけど、もうみんな疲れてしまって。

――あ~。 

当然、社会規範寄りの話はしにくくなって。そうなるかもとは思ったけど、実験でやったら予想以上にひどかった。それでやっぱり改めて評価制度を見直して、真ん中に戻した感じっすかね。

――なるほど。「小富士」は確かトントンでいいんですよね?

そう。うちは最悪、自社プロジェクトは利益ゼロでOK。最低でも自分の動いた分、かかった分は稼いで、できたら利益を出したい。会社としては自社プロジェクトも含めて社会規範強いほうでもガンガン利益上げてくれて、市場規範強めの仕事とバランスよくできたらいいと思ってるっすね。

――好きなことやれた方が楽しいですもんね。

ただ、うちの大黒柱の小畠ってディレクターは、「俺は面白いことは思いつかないから任せます」っていう人なの。「俺が稼いでるうちに、面白いことで稼げるようになってください」っつって。6年ぐらいいるけど、まだ全然食わせてない(笑)

――それはカッコイイですね!

その人が結構でかくて、俺のクサビのような人。この人は完全に市場規範の人で、俺はもともと社会規範寄りで、お金がすげえ弱いの。だから会社的にバランスがとれてる。

友達作るためにシェアリングバー経営

――なるほど。

俺は企画力以外、うちの社員に勝てるところないと思ってて。今、無能な人のところにできる人が集まってきてる状態。俺ができるのは「つぶれてもOK、何とかなるし」みたいな覚悟と、鈍感だから借金とか保証人に平気でなれること。昔、取引先の社長に「1億円、借金してからが男や」と言われて、かっけえと思って、「1億円借りたら言いますね」とか言って。まだできてないけど(笑)

――強い(笑) あと、部活みたいな制度があるって聞いたんですが…

「会社でお金出すから外で好きなことやっていいよ」って制度を部活って呼んでるっすね。発端は、2009年に今泉(※天神の近く)に「UNDERBAR」っていう、日替わりでマスターが変わるシェアリングバーを作ったの。俺、会社作ってから4年ぐらい缶詰めだったから、ちょっと外出たいっつって。毎日そのバーで飲んでたら、友達が500~600人できたと思う。あらゆるジャンルの人がいて、今の取引先とか同業者もいっぱいいるっすね。

――すごいですね!

リアルの場だと色んなことが起きるし、人の営みとか流行りがわかっていいなって、そこで味を占めたんすよ。それで「外に出ないとバカになるぞ」って、部活制度を作った。その後、取締役2人が「本が好きだから本屋やってみたい」って、部活制度を使って週末にバーがあるビルの別の部屋でやっていたマイクロストアスペースで本屋を始めた。それが佐賀の泊まれる図書館「暁」っていう事業になった。「暁」はたくさん取材をしてもらったり、遠くから泊まりに来てくれる人がいてくれたりと、いい結果が続いている。俺が本屋に興味あるのはその2人のせいっすね。

泊まれる図書館/珈琲 暁

――「糸島の顔がみえる本屋さん」と「虚屯出版」につながるんですね。

そうそう。本には圧倒的な文化力があって、人がいっぱい来ることが「暁」でわかってたから、元々うちらで一軒丸ごと本屋にしたいって言ってたんすよ。けど、ちょうど「糸かお」をやりたいっていう人がいたから、今「いとしまちカンパニー」が場所をお貸ししてる形っすね。

――「いとしまちカンパニー」結成までの流れはどんな感じだったんですか?

俺は糸島に6年前に来たときは、友達もいないし糸島に興味もなかったんだよね。でもやっぱ朝、起きて気持ちいいし、土日も楽しいし、子どもの幼稚園も楽しいしで、だんだん好きになって。それで良治(※後の「いとしまちカンパニー」メンバーの福島さん)と出会って、コミュニティに入らせてもらって、むっちゃいい街やなと思って。あるとき移住者何人かで飲んでたら、4人ぐらいが映画館を作るのが夢だったって言って、じゃあなんか作る?って話になった。

――なるほど。

それで2017年に「いとシネマ」(※野外映画祭)を開催して、それがきっかけで糸島市と仲良くなった。西日本新聞と糸島市が共同でやってた糸島の課題を抽出して解決するプロジェクトがあって、「課題はわかってるけど、誰がやるの?」みたいなときに声を掛けてもらって。会社のほうが頼みやすいからってことで、2019年に良治、下田と3人で作ったのが「いとしまちカンパニー」。で、中心市街地活性化のために最初にやった事業が「みんなの」すね。

――カラクリワークスが手がけてるのはどれなんですか? 

「小富士」と「虚屯出版」。「糸かお」が入ってる「MAEBARU BOOKSTACKS」と「みんなの」は「いとしまちカンパニー」っすね。

――ややこしいですね(笑)  カラクリと「いとしまち」どっちでやるかって、どう決めてるんですか?

MAEBARU BOOKSTACKSもカラクリでやってもよかったんだけど、できるなら「いとしまち」でやりたいって話をしてて。カラクリが「小富士」も「虚屯出版」もやって、さらにMAEBARU BOOKSTACKSもやるのは、なんか侵入してきたみたいで「すげえ来るっすね」ってなる。それはバランス悪いし、町の人の感情考えたら、町にああいう機能を持たせることは「いとしまち」がやった方がいいかなと。「小富士」は、あそこに作ることで前原商店街の端っこを押さえられて、「ここのき」さん(※前原商店街の逆の端にある人気雑貨店)との間に線ができて、商店街に活気が出るって作戦すね。

子どもが成長する町の地ならしをしたい

――糸島活動にそこまで力を入れるのは何でなんですか?

娘と息子が大人になって苦労したときに、「トト(※お父さん)はそんな苦労してなかったな」って思えるような地ならしをしたいんすよ。「あれ、内定もらった友達の世界よりも、うちのトトのほうが楽しそうな気がする」みたいな。うちが正解とかじゃないけど、「選択肢としては、うちらみたいな会社もあるよ」「大丈夫、こっちも生きる道あるよ」っていうのをやっときたい。「なぜかトトの店は前原にもいくつかある」みたいな。「そんなカジュアルに店、出していいんだ」って、大人が聞いたら意味わからんけど、子どもからしたら当たり前になるじゃないっすか。

――めちゃくちゃカジュアルですよね(笑)

娘もだいぶわかってて、「今度、どこにつくると?」みたいな感じ。 それが自分の町にあると体験しやすいし、町でちゃんと効果が表れてて、「おまえの父ちゃんのおかげで助かっとるとよ」とか言ってくれてたりすると、娘からするといいロールモデルになるんじゃないかと。

――いいですね。

糸島って人口少ないから、色んな所で友達に会う。それを子どもに見せとくっていうこと。自分の息子と娘が成長する町をよくするっていうのは、生き方も見せることだし。東京とか海外とか行きたかったら行ってほしいけど、帰ってくることもあるだろうし、そのときにちゃんとお父さんたちがつくった、地ならしのされた多様な町だったら、「おまえ、あいつの息子や娘やな、じゃあ貸してやる」とかなったら楽しいかもしれんし。

――めっちゃいい話を聞いたような。

自分の中心から、半径ゼロメートルからじわじわ広がっていったときに、最初に子ども、奥さん、友達、地域とかになってきて、その中に全部含まれてるから。自分が住んでる町をよくすることが絶対、子どものためになる。俺は比較的、善人だから。

――比較的?(笑)

かなり善人だから(笑)、俺が楽しいって思うことはたぶん、少しはみんなの役に立つと思ってて、今、「みんなで頑張ってあと15年やろうぜ」って言ってます。

――末永くよろしくお願いします!今日はありがとうございました!!

編集後記

後原さんインタビュー、いかがでしたでしょうか。

話を聞いているとすべての行動が軽やかで、「とにかくやってみて→ダメだったらやめる・変える」というサイクルがすごく速かったです。

特にびっくりしたのは、「鈍感だから1億でも借金できるよ」というセリフを当たり前のようにサラッと言われたこと。肝の据わり方が半端ないなと。利益が出るかわからなくてもどんどん挑戦できる秘訣は、このメンタルの持ち様にあるんだなと思いました。

後原さん、楽しいお話をありがとうございました!
次回もお楽しみに^^

写真(後原さん、小富士):Chinamu Sashikata
文:山部沙織 



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