今回は、糸島の古民家を九州大学の学生寮として再生させ、運営している「熱風法人よかごつ」代表・大堂良太さんのインタビューです!
大堂さんが手がける寮「熱風寮」は、現在5つ。熱風寮には月に一度の寮生会議や、寮合同の食事会などの様々なイベントがあり、ユニークな学生が集まっています。一番新しいものは学生と社会人混合で、起業家を目指す8人が入居している起業家シェアハウス。
大堂さんってどんな人?
大堂さんは、1982年熊本生まれ。九州大学理学部物理学科を経て、総合理工学府大学院を卒業。大学時代は、九大の自治寮だった田島寮と仏青寮で寮生活を経験。その後丸紅に入社し、勤務の傍らグロービス経営大学院に通い、MBAを取得。2017年に家族で糸島に移住し、熱風寮を立ち上げました。現在は、このブログの運営母体であるシェアオフィス「糸島よかとこラボ」や、9月にオープンする「糸島の顔がみえる本屋さん」なども運営しています。
そうそうたる経歴なのですが、大堂さんがすごいのは、普段それをまったく感じさせないところ。学生に「ほんとに丸紅にいたのかな?」と言われるほど、親しみを持たれています。
私は大堂さんに出会って「こんなに常にポジティブで明るい人がいるんだ」と驚愕し、今もその感動は更新され続けています。「大堂さんみたいになりたい」と憧れている学生も多いと思うので、今回はその秘訣を聞かせてもらうことにしました!
6年中5.5年は寮暮らし…寮の楽しさを知った九大時代
――大堂さんは九大時代、自分も寮生活をしてたんですよね?いろいろ面白い行事があったと聞きました。
「田島寮」っていう男子だけの自治寮で、パンツ行進とか、100対100の大合コンとか、ボーリングコンパとかがあったね。パンツ行進は、寮生がパンツを2枚重ねばきした恰好で他大学の女子寮の前まで行進して、連絡先を書いた紙を入れたパンツをベランダに投げ込むっていう。毎年の恒例行事で、警察と女子寮にも事前に許可をとってやってた(笑) 「この時間にパンツが投げ込まれる可能性があります」みたいな。
――何回聞いても面白いですね(笑) 寮に入った理由は何だったんですか?
経済的理由で、寮一択だった。入ってるうちに寮が部活みたいになってきて。バスケットボールサークルには入ってたんだけど、寮の活動が忙しくなって、2年生からはほとんど行かなくなったかな。
――寮の活動っていうのは?パンツ行進とか?
そうそう(笑) あとは寮祭の実行委員とか、次の新1年生を迎えるために3日間壮大なドッキリをやるっていう行事があって。1年生に、「この寮はすごくバンカラで規則がめちゃくちゃ厳しくて、上下関係も厳しい」っていうふりをするの。女人禁制、土足厳禁とか、めちゃくちゃ長い寮歌を覚えさせられたり、先輩に会ったら絶対立ち止まって90度の礼をして「お疲れ様です!」と言わなきゃいけないとか。新2年生には、脱走する新入生を監視する役とかもあって。毎年2人くらい耐え切れず脱走するんだよ。夜中に監視員が外に10人ぐらいいて、脱走した子にだけは本当のことを話すっていう。親には、「こういうドッキリがあるので、お子さんから連絡がくるかもしれませんが『そんなもんだよ』と言ってください」とか根回ししておいたり。めちゃくちゃ分厚いマニュアルがあって、1月ぐらいから3か月かけて見直して改訂してた。
――めちゃくちゃ楽しそうじゃないですか!
楽しいよ!(笑) 3日間やり終えて、最後にネタばらししたときは歓喜の嵐で。体育館に1年生を集めて、前に怖い寮長とか懲罰委員長とかが学ラン着て竹刀持って並んで、後ろにOB(3年生以上の学生)とかがたくさんいて、「今日、お前らの中に寮則を破ったやつがいる!全員目をつぶって、破ったやつは正直に手を挙げろ!」って言って。その間に上半身裸になって日本酒やクラッカー持ってネタばらしの準備をして、「目を開けろ!」って言った瞬間にパンパンパン!ドッキリでしたー!ってやるの。ホッとして泣く人もいて。3日間で各ブロックの1年生同士の結束が高まって、一緒に乗り越えようよ!みたいになって、一体感が生まれて仲良くなったり。そのあとは1年生と2年生も仲良くなる。
――大堂さんは、寮でもみんなのお世話をしてたんですか?
俺はドッキリの懲罰委員長をやってたよ。修士1年生くらいまで、OBとしてドッキリに参加してた。
――ほかにも寮に入ってたんですよね?
そうそう。田島寮の後に修士の2年間で入った「仏青寮」は男女両方入れる自治寮で、そこも寮祭があって楽しかった。田島寮と仏青寮の間にも別の寮に入ってたし。
――寮づくしですね!
6年中5.5年間は寮暮らしかな。途中半年だけ一人暮らししてみたくて、やったんだけど、つまんなさすぎてすぐやめた。
――今でも九大時代の寮生とは会ったりするんですか?
今はコロナでなかなか会えないけど、数年前までは結婚式とかで年に1回くらい、一部の人と会ったりしてたかな。
「会社での学びだけだと限界がある」経営大学院への入学が転機に
――九大卒業後、丸紅に就職した理由は何だったんですか?
3つポイントがあって、理系だったんだけど、もっと色んな人と触れ合える仕事がいいなと思ったのがひとつと、あとは英語を使う仕事がしたいと思って。ちょうどその1年前ぐらいに九大の短期留学生のボランティアをやってて、それが色んな価値観にふれられて面白くて、グローバルな会社に入りたいと思って。それで商社のOB訪問したらすごいカッコいい先輩が働いてて、この業界に入りたいと思って。あと、ネガティブな理由が1個あるんだけど、実験が下手すぎて(笑) 文系就職しか生きる道はないなと。
――丸紅で働きながら、グロービス経営大学院に入ったんですよね。入った時期はいつだったんですか?
転勤で名古屋に3年いて、東京に戻ってきて、ちょっと余裕ができた頃。ちょうど仕事もちょっと回りだした頃で。
――なんでグロービスに行こうと思ったんですか?
今の会社で自分がいかにパフォーマンスを出すかを考えたときに、もっと貢献できるようになりたいなと思って。数字のスキルとかマーケティングの考えとか、経営にまつわることって意外と会社では教えてくれないから、丸紅だけでの学びだと限界があるなと。丸紅もちょうど経営者人材を育てたいって言ってた時期だったし、学んでおく価値はあると思って。
――なんて意識が高い…!自腹ですか?なかなかいなくないですか?
自腹だね!確かに、周りには全然いなかった。会社である程度成果を出して満足してる人はそこで回ってると思うんだけど、自分は40で起業する区切りがあって、逆算すると丸紅だけでは得られないスキルがあると思ったから。あと、単純にグロービスのお試し講座が面白くて。丸紅の外でしか出会えない経営者の人とかもたくさんいて、楽しかったよ。
――自分で寮をやりたいって思い始めたのは、その頃なんですよね?
32歳くらいだから、そうだね。寮が好きでも、仕事として成り立たせないといけないから、学生時代はすぐには仕事にしようと結びつかなくて。でも教育には関心があって、若者の支援がしたいと思って、「教育×〇〇」をずっと探してた。学校の先生とか塾の先生になろうかなとか。グロービスでやりたいことを見つける授業を受けたときに、そこに寮っていうのがピタッとはまって。
小1で親元から離れて集団生活
――ここからは大堂さんの人格面に迫っていきたいと思うんですが、大堂さんって人見知りしませんよね?いつからですか?
親が小学校の先生で、親父に連れられて幼稚園のときに、土日に小学校に連れてこられて小学生と遊んでたりしたから、子供のころから人には慣れてたね。
あと、小1のときに喘息がひどくて、小1~小3まで、喘息学級センターみたいなとこに行って、親元離れて集団生活してたの。そこに年中~中3までの喘息がひどい子が全国から集められて、病院の4人部屋とか6人部屋で集団生活してて。半年に1回だけ実家に帰って、月1で親の面会があって。最初の1週間はずっと泣いてたけど、あとは楽しくやってた。それによって看護師さんとか先生とか、目上の人と普通に話せるようになったり、鍛えられたね。
――大堂さんって、初対面の人にもすごい興味を持って話しかけてますよね?
自分は人への興味関心が人より高いのかもしれない。小学校4~6年生くらいまで「なぜなぜくん」って呼ばれてた。いろんな人に「これ何で?」「何でこうなってるの?」って聞き回ってたから、女子にあだ名つけられて。好奇心がめちゃくちゃあって、それが人にもわいてきてるのかな。
――だから無理なく人に興味を持てるんですね!「大堂さんパワースポット説」っていうのを私は唱えてるんですけど(笑)
何それ?(笑)
――前に糸ラボ(※糸島よかとこラボ)の人と、「糸ラボってパワースポットだよね」って話をしてて。糸ラボに来る人みんな楽しそうだし、「糸ラボっていいエネルギー流れてるよね」みたいな。
そうかも、みんな楽しそうだね。
――「その理由、たぶん大堂さんやな」って話になって。糸ラボの人って、入居者もコミュニティマネージャーもけっこう大堂さんが連れてきてるから。今、私たちの中で、「大堂さんが歩くパワースポットみたいな人だから、人が集まってくるんじゃないか」ということになってる(笑)
すごい仮説が(笑) でもうれしいよね、そう言ってもらえるのは。
――それで、いつから大堂さんがパワースポットなのか知りたくて。いつもポジティブだし明るいし、絶対人の悪口言わないし、たまに毒を吐くときもあるけど、それも嫌な感じじゃないし。人望がすごいですよね。前、Facebookの誕生日おめでとうコメントの多さに震えたことがあって(笑) 「あんな量のコメント初めて見た!」って。しかも、全部ビジネスコメントじゃなくて、ちゃんと心のこもったコメントで。
いつからっていうと、性格自体は昔からそんな変わってないと思うんだよね。ただ、糸島に来たことで、よりマイルドになったかもしれないね。東京にいたころは仕事も大変だったし殺伐としてたから、他人に目を向けることが今よりも面倒くさくなってた時期もあったかな。それは、糸島のおかげっていうのが1個あるかも。
――糸島の力も大きかったんですね!奥さんにも変わったって言われたりしますか?
「見た目が田舎っぽくなったね」とは言われる。「2年前はもっとギラギラしてたんだけどなあ。商社時代はスーツも似合ってたのに、今は似合わなくなった」って(笑)
――ディスりじゃないですか!(笑) でも確かに、2年前に会ったときはもっと近寄りがたかったかも。周り見てて「自分めっちゃポジティブやな」って思います?
前はもうちょっと近寄りがたかったって、よく言われる(笑)「なんでみんなこんな悩むのかな、イライラしてるんだろ?」とは不思議に思うかな。
定期的に死にかけた人たちを救う夢を見る
――グロービスで自己肯定感を上げるワークとかやったんですか?
いや、そういうワークはなかったね。自分が何をやりたいのか、どういう生き方がしたいのかを考えるワークはあったけど。そのときにはすでにこういう性格だったし、ずっとそうかも。
――生まれつきなんですかね。今までの人生で、折れるときとかなかったんですか?「俺もうダメかも」みたいな。
それが、なかった。これ言うと自信過剰かもだけど、「何とかなるやろう」と思ってた。あと俺、誰にも話したことないんだけど、1か月に1回くらい見る夢があって。みんなが死にかけてて崖とかにいるんだけど、自分がギリギリ死なずにみんなを救う夢。高校生ごろからずっと見てて、死にそうだけど絶対死なないの。
――へー!!
あと、大学院の修論の実験がうまくいかない夢も見る(笑) 起きたら「俺、修論とらずに卒業したっけな?」ってわかんなくなる。
――何かが表れてますね!修論はありそうですけど、みんなを救う夢は珍しいですよね。
なんとかなるって考えが夢として表れてるのかもね。自己肯定感が高いっていうのは自分でも感じる。両親にはこれやりなさい、あれやりなさいとか押し付けられず、好きなことさせてもらって育ったかな。だから、自分は自分のままでいいんだって感覚はあった。
――でも、押し付けられず育った人けっこういると思うんですけど、それだけで大堂さんほどポジティブになりますかね?
ちっちゃいころから、親や周りにずっと「運がいいよね」って言われ続けて育ったのもあるかな。小学校1年生くらいで300人か500人くらい集まる演劇の観客の中で抽選でプレゼント企画に当たったり、ロト6で自分が初めて買ったときに10万円ぐらい当たったり。それで「良太は運がいいよね」と言われてた。
――それは自己肯定感上がりますね!
九大も滑り込みで入ったんだよ。入ってから結果見たら、ぎりっぎりだった。あと、前日に見てた数学の問題と丸々同じのが当日出た。
――何かの星のもとに生まれてきてますね(笑)
自分が運がいいと思うと、嫌なことも「これは自分に与えられた試練だ」と思えたり、いいこと起きたら「日頃の行いかな」って、すべてがいい方向に思える。そういう意味では、小さいころからの声かけって大事かも。俺も、できるだけ娘にはいいことがあったら言うようにしてて。
――今までで一番の試練ってなんでした?
ひとつは、丸紅入社してすぐの上司との2年間かな。「お前の脳みそは鳥の脳みそ以下だ」って言われてた。その後ググったら鳥の脳みそって親指程の大きさで。さすがに「なにくそー」と反骨精神芽生えたね(笑)
あと、名古屋に3年くらいいて、それも大変だった。震災でサプライチェーンがぐちゃぐちゃになって、仕事自体も大変だったし、出向の形で入社3年目だったから、グループ会社の人との人間関係とかも難しかったり。でも「会社をやめたい」とか「出社できない」とまでは思わなかったかな。
――ポジティブだからですかねえ。
ただ、当時のアシスタントの女性からは後で「あのときの大堂さん、死んだ魚の目をしてましたよ」って言われて(笑) 自分ではなんとか頑張ってると思ってたけど、ギリギリだったのかもしれない。
――社会って厳しいですね。大堂さんでさえ死んだ魚の目になるなんて…そういうときはどうやって乗り越えるんですか?
特にメソッドはないかな。寝るとか、忘れるとか(笑)
自治寮復活ののろしを上げたい
――大堂さんって、めっちゃ寮生に愛されてますよね。寮生が「大堂さんかわいいよね」「大堂さんって喜ばせたくなる、喜んでたら嬉しくなる」って話してて、尋常じゃなく愛されてるなと思って。大堂さんの愛情が伝わってるんでしょうか?愛情注いでる感じしますか?
注いでるし、もっと注ぎたいね。最近は5つ寮があるから、注げてないなあって。今は注ぎきれてないのがもどかしいかな。
――日々、どう寮に関わってるんですか?
最近は週に1回の朝掃除の日に、人数が多くて掃除が大変な寮にはできるだけ行くようにしてる。去年はずっと行くのも大変だから、寮生に任せていたけど。それが寮生とのコミュニケーションの場になってて、寮に足りないものとか聞いて、掃除機が壊れかけてると聞いたら買ったりとか。
――寮生と接するときに心がけてることってありますか?
最近どんな学生生活送ってるかとか、部活とかサークルとかどう?とか、雑談をするようにしてるかな。1か月くらい会ってない寮生も出てくるから、会ったときに近況をキャッチアップしたいなと。
――全部覚えられるものですか?
いや、なかなか全部は覚えられない。だからメモとったり(笑)
――卒業した熱風寮生とは、今も付き合いがあるんですか?
OB・OGのLINEグループが各寮ごとにあって、そこで繋がってるよ。今年は、熱風寮OB・OG会みたいなの作りたいんだよね。先輩がたまに遊びに来て、現役生に仕事の話とかしてくれたらいいなと思って。あと、年に1回くらい現役生がOB・OGや保護者に熱風寮の活動を報告する、熱風寮新聞みたいなのやりたいなって。今、寺子屋とか、プログラミング教室とか、畑で夏野菜作ってたり、寮対抗フットサル大会やろうとしてたり、いろいろ書けることがあるから。
――めちゃくちゃ読みたいです!ところで、九大にはもう自治寮がないんですよね?
そうなんだよね。ちょっとさみしいなあって。これから熱風寮で復活ののろしを上げようと(笑)
――ぜひパンツ行進を復活させてほしいです(笑)
いつか警察にも信頼されるぐらいの存在になれればね(笑)
――今日はありがとうございました!
編集後記
大堂さんインタビュー、いかがでしたでしょうか。
大堂さんが質問の度に「やまぷーはどう?」と聞いてくれるので、音源を聞いたら半分ぐらい私が喋っていて、「どんなインタビューやねん」と思わずツッコミました(笑)
確認のために原稿を送ると、「素晴らしい文章とインタビュー」「やまぷーの安心感と聞き上手なところから普段話さないところまで話してましたね^^」と返ってきて、大堂さんが慕われる理由を再認識しました。
インタビューしている方もすごく楽しい時間でした。大堂さん、本当にありがとうございました!
文:山部沙織