インタビュー

「初個展で600人も来場!?」糸島で大注目の風景画家に直撃してわかった人気の理由(後編)

糸島の風景画家・宮田ちひろさんのインタビュー後編をお届けします!

前編はこちら
https://itofessional.com/2023/08/11/interview-8/

貯金を切り崩した駆け出し期間

――他には何か活動されましたか?

あとは、個展もやりました。市の郷土美術館がすごく安く借りられて、絵を売ったりはできないんですけど、最初はとにかく見てもらいたいと思って。みんな、知ってる所が絵になってるからすごいうれしかったみたいで、500~600人ぐらい来られたと思います。

――すごい!告知はどうやってされたんですか?

ほとんどしてないんです。ただ、「糸島の光」っていうテーマを自分でつくって、「どうぞ皆さん、見に来てください。写真も撮っていいし、よかったら人に教えてください」って言ったら。

郷土美術館前で
「糸島の光」展を見に来られたご家族と

――口コミっていうか、「よかったよ」みたいなのが広がって、糸島の人たちが次々に来てみたいな感じですか?

そうそう。それを3回やりましたね。3回目の個展を見に来られた「古材の森」(※糸島の築122年の商家を改装した古民家レストラン)のディレクターさんが、「ウチでやりませんか」って言ってくれたのが、古材の森での個展につながって。それこそ、作業所でお菓子作りをしていたときに、古材の森で利用者さんの誕生会を開いてたんですよ。

――そうなんですか!すごいご縁ですね。

当時、その誕生会を楽しみにみんな頑張ってたので、こんなご縁があると思わずびっくりしました。そこでいくつか絵が売れて、これから本格的に絵を描いてしっかりやっていけそうだなって、それが3年目でしたね。

――やっぱり「3年」は合ってたんですね。

それまでは全然でした。貯金切りつめて、毎日ハローワークの前を通りながらちらちら、それこそ個展の日ですら見てましたね(笑)

――その3年は貯金を使いながら、ずっと絵だけを?

そう。じゃないと、私の中では画家って言えなかったんですよね。どんな苦しいときでも、画家さんって絵描いてるじゃないですか。だから、とにかく絵一本で行けるところまで行こうって。私は1人だし、もしこれで芽が出なかったらまた働けるし、みたいのがあったので。

――営業活動とかはされてたんですか?

営業活動はあんまりないんですけど、もともと働いていた福祉施設の遠足、おまつり、プールの付き添いとか、地域の行事とか、イベントのボランティアには行ってて。そのたびに地域の人たちと触れ合うので、「よかったら個展、見に来てください」みたいに普段コミュニケーションをとってたのが営業になってたんだとは思います。

――なるほど。元々やってたことが、「仕事変わったから、そっちもお願いします」みたいな感じだったんですね。

みんな家族で来てくれたり、必ず口コミして「ちひろさんの行ってあげよう」って言ってくれて。田舎の人たち、「行ってあげて」って言ったら必ず来てくれるんで、「誰々さんに言われて来たよ」とか、「友達連れて来たよ」とか、やさしさの連鎖が起きてくれました。

――10年間、地域の人たちのために尽力されてきたっていうのが、すごい浸透してたってことで…。

地域のためというよりも、私たちのような障がい者のいる家族は、地域を大切にすることで自分たち家族も守ってもらえるという意識があります。自分たち家族だけではどうにもならないことがあるんです。私もちっちゃい頃、妹がいなくなったときに周りの人たちが連れて帰ってきてくれたり、「あっちに歩きよんっしゃったよ」って教えてくれたことがあって。

――なるほど。

経験から、自分たちでなんとかすることに限界があること、人とつながって自分たちでできなかったことをできるようにしていくことを学びました。福祉関係ってつながりがないと苦しくなってしまうことがあるので、みんなで助け合って、長ければ長いほどそういう輪ができあがってるんですね。

「なんでそんなにうまくいってるの?」「なんでそんなに集客できるの?」っていろんな人に言われるけど、特別なことしてないけど、10年間楽しく仕事させてもらって、一生懸命、それこそ景色なんか見る暇もなく駆け抜けたけど、それがちゃんと返ってきてるのが今だから。本当、ありがたい時間だったなって。私、あの10年は、かけがえのない時間を過ごさせてもらったなって。 

――なんか、涙出てきた。すごい、いい話。

本当、糸島の人たちはあたたかいです。都会に行けば行くほどそれを感じて。百貨店の個展でぽつんと立ってても、糸島の人たちがみんな、緊張しながらおしゃれして来てくれるから。

――かわいいですね(笑)

「都会に何を着て行けばいいかわからないから、10年前のお洋服引っ張り出してきた」って、きょろきょろしながら大冒険で来てくれて(笑) 本当、いい方たちばっかりで、そういう人のよさっていうのがなくなったら絶対駄目だし、芸術は人と人をつなげるものだし、豊かにするものだと思っています。 

――本当にそうですね。

今も毎年、働いてた福祉施設の利用者さんが見に来てくれるんですよ。コロナの前は、施設のスケジュールにもちゃんと年間行事みたいに「ちひろさんの絵画展」って入ってて、みんなで来てくれたりして。

――いい話だ…

それ以外にも、糸島を描いてると、あらゆるところからお仕事をいただけるようになったんです。たとえば、JA糸島さんとか、イトキューさん、糸島市からとか。

――それはどういう経緯で?

私、毎年カレンダーやポストカードを糸島の印刷会社さんでつくってるんですよ。そしたら、その印刷会社の別の部署の方がJA糸島のラッピングトラックの仕事に関わっていて、「ちひろさんの絵はどうですか」と提案してくれたそうなんです。

――代わりに営業活動してくれてるんですね(笑)

JAに勤めている同級生の友達も企画に携わって、農家さんに紹介してくれたりと尽力してくれました。トラックの出発式ではたくさんの方たちと喜び合うことができて、とても感動したことを覚えています。

ちひろさんの絵が印刷されたラッピングトラック

――いろんな方がちひろさんを応援してくれているんですね。

百貨店出展も、このギャラリーartistationの常設も、全然会ったことのない人が「あの子と会ったげてよ」とか「宮田さんの絵を展示してあげてください」って頼んでくれて。こうなってくると、私も糸島に何か恩を返していかないといけないって思って、もう悪いことができません(笑)

可也山は超絶難しい

――ははは(笑) 今、絵はご実家で描かれてるんですか?アトリエはないと伺いましたが。

そうなんです。妹の生活介助を家族みんなでしているので、かえって家のほうが動きやすくて。生活ありきで人に会う時間が多いですが、描く時間もつくっています。

――どういうスケジュールで描かれてるんですか?

晴れた日は綺麗だから、山や田んぼをあちこち見に行ってます。動画を1分ちゃちゃっと撮って、あとはそこで浸って、時々インスタライブでみんなに景色を共有したり。雨や曇りの日、梅雨は絶好の製作時期ですね。

――あんまり決まってるわけじゃなくて、天気によるんですね。1枚の絵にどれぐらい時間をかけて描かれるんですか?

頭の中に絵ができあがってる状態だと、3日・4日で描けたりします。描こうと思うまでが時間かかるかもしれない。描き始めたら周りが見えないぐらい集中して、わーって描く感じで。

――スランプとか、描きたくなくなるときはありますか?

ないかな、描く気分じゃないときは時間があっても描かないし。でも、自然が当たり前に「描いて」って言ってくる。そのときそう思わなくても、後で同じような色に出会うと「あのときの景色、やっぱり絵にしといたほうがいいよね」って思いだしたり。

――自然を見て回ることが、モチベーション維持に繋がるんですか?

狙って見に行ってるわけじゃなくて、電話で「タケノコあるよ」とか呼ばれて、その途中で「もうこんな時期か」とか、「これが咲いてる」とか、偶然いい景色に出会うことが多いですね。あとは、モチベーション維持には、落ち込んでぶれないようにすることかな。うまく描けなくて駄目になる作品も、実はいっぱいあって。

――思ったような景色にならなかったってことですか?

そうですね。うまく描けないことはいっぱいあります。特に可也山とか、超絶難しいです。最近はうまく描けなかったら、置いといて別の作品を描くことにしてます。すっかり忘れた頃に見返すと、「こうすればいいんだ」って見えてきて、あっという間に完成したりするんですよ。自分の嫌なとこをずっと見るんじゃなくて、ちょっと手放すっていうことを覚えました。

ちひろさんが描いた可也山の絵(※今回特別に掲載させていただいているため、転載はご遠慮ください)

糸島を芸術の街にしたい

――画家になるって決めてから、苦労とか、つらかったことはありますか?

つらかったことはないけども、展覧会でも何でも、常にプレッシャー、常に緊張。いい絵が描けたと思っても、いざ発表するってなったら心が押しつぶされそうになる。本当に喜んでもらえるのか、すごく緊張します。

――何回もやってても、そのたびに?

 なります。どうしてもなります。常に緊張です。

――その緊張や苦しみは、乗り越えるとかではなく、ずっと持ち続けるものなんですか?

展覧会では厳しいことや、技術的なことなど辛口で指摘されることもよくあります。それもすごく必要なことだと思うけど、いざ来るのかと思うと、心構えがかなり要るんです。落ち込んでも喜んでくれる人たちに失礼だから、落ち込まないような強い心でいなければと。

――辛口な指摘も必要っていうのは、どういうことですか?

自分を確かめられるんですよね。言われたことをちゃんと受け止められるかどうか、それでも「いや、私の中でこれはいい景色なんだ」って思えるかどうか。やっぱり、自分が自分の作品の一番のファンだし、すぐに手放したくない、売れてほしくないと思うこともあるんですよ。

――売れてほしくないことがあるんですね!

最初、非売品にしてたら「それは見に来る人に失礼だ」って言われて、「ご相談ください」というふうに提示したら、値段も聞かずに「ご縁を感じたから、これをうちに掛けたい」って言ってくれる方が現れて。私、売りたくなかった気持ちもどこへやら、「どうぞ、あなたにならいいです」って(笑) 展示会でどんなご縁があるのか、いつも緊張して立っています。

――たくさんあると思うんですけど、しいて言うなら、糸島のどの景色が一番好きですか?

最近は麦畑に行くことが多いですね。風が強い日なんかは直行します。浦志とか、深江とか、一貴山とか三雲とか井原とか、麦畑が本当にすごくて、収穫時期がそれぞれ違うから色の変わりも違うんですよ。

ちひろさんが描いた麦畑の絵(※今回特別に掲載させていただいているため、転載はご遠慮ください)

――ずっと見てたら、そういう些細な違いもわかるようになるんですね。

私たちの知らない間に、農家さんたちが耕して種をまいてっていう時期があって、そのご苦労や大変さを考えたら、この景色を守らないとっていう気持ちになりますね。私の住んでいる地域なんかはどんどん田んぼが住宅地になっています。それも必要なことだけど、自然ってずっと同じ景色があるわけじゃないから、残しておきたい。

――これからどうなっていきたいとか、今後の目標はありますか?

いつも糸島で展示会をやってるけど、もっと色んな所でもやってみたいし、また大きい作品にチャレンジしたいです。すごいエネルギーがいるけど、大きいのって迫力あるし、みんなにも喜んでもらえるので。

――大きい作品、いいですね!

あと、下田さんの記事(※過去のイトフェッショナルのインタビュー)で、「10代のときに記憶に残るものをつくるのが大事」っていう話が1番印象的で、本当にそうだと思って。私もそういう印象に残ることがしたい。私の絵ってわからなくても、「『古材の森』で何か絵を見たな」って記憶に残ればいいなって。糸島を描いて、糸島に恩を返せたら…糸島を芸術の街にできればいいな。糸島という場所、そして出会う人に感謝の気持ちを忘れず描き続けていけたらいいなと思っています。

――これからの作品も楽しみにしています!今日はありがとうございました!!

編集後記

宮田ちひろさんのインタビュー、いかがでしたか?
インタビュー中、ちひろさんのご家族や糸島の人たちへの想いを聞いているうちに気づいたら涙が出ていて、インタビュー中に泣くなんて初めてで驚きました。
そして隣にいるカメラマンの指方さんを見たら、私より号泣していました(笑)
その感動が少しでも伝わればうれしいです。

ちひろさんは今年も10月20日~29日に古材の森で個展を開催されるそうなので(入場無料、25・26日は休廊)、記事を読んで気になった方はぜひ行ってみてください♪
今回もお読みいただきありがとうございました!
次回もお楽しみに!

写真:Chinamu Sashikata
文:山部沙織
ブログ制作:糸島よかとこラボ

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